19世紀の初めに生まれたガス灯も、新たな産業を生みだした。1810年には、マードックのアイディアとルボンのアイディアを統合し、一般の消費者にガスを供給してガス照明の普及を図ろうとする会社が、ドイツ人技師のフリードリヒーアルバート・ウィンザーによってロンドンで設立された。1812年にはさらに、ロンドンーウェストミンスター・ガス会社(のちにガス灯コークス会社と改名)が設立され、1815年までにロンドンでは、街灯への供給のために42キロメートルのガス管が埋設された。1822年にはガス会社はさらに増えて4社となり、直径18インチ(約50センチメートル)のガス本管だけで300キロメートル以上も敷設され、各家庭に送る細いガス管と接続されていた。ガス会社は急増しつづけて1847年には1037社にも達し、ガス管の配管網が英国全土に整備されていった。ガス灯はそれまでのロウソクやオイルランプよりも明るく、煤も出にくく、それにもまして、点けたり消したりが簡単であったために、ガス配管の充実とともに急速に普及した。街灯として使われていたオイルランプは、すべての公道から追放された。オイルランプは人間が定期的に見まわって、オイルを街灯ごとに補給しなければならないが、ガス灯はガス配管さえされていれば、そのような面倒な作業はいらない。つまり、同じ明るさを得るのに、圧倒的に安いコストですむのだ。たとえば当時の試算によると、6分の1ポンドの重さのロウソクを7本灯したときと同じ明るさを得るのに、時間当たりガス灯は3ファージンク、オイルを用いるアルガンニフンプでは3ペンス、ワックスロウソクは1シリング2ペンスであったとヅオルフガングーシヴェルブシュは伝えている。ファージングは4分の1ペンス、1シリングは12ペンスであるから、ガス灯はオイルランプの4分の1、ロウソクの18分の1もの圧倒的に安いコストであったことがわかる。最近、道路を歩いていると、オイルランプが公道から、ガス灯によって短期間に追放されたのと同じような現象を見ることができる。交差点の交通信号灯だ。これまで、信号灯は白熱電球の前に赤色、黄色、緑青色のガラスフィルターをつけていた。ところが、1993年に青色発光ダイオードが発明された。赤と緑の発光ダイオードはすでに実用化されていたから、これで光の三原色がそろい、あらゆる色の光が可能になった。発光ダイオードの光は指向性(方向によって強さが異なる性質)があって明るく、屋外にある信号に使えば色が見えやすい。それに消費電力も少なく、白熱電球のような球切れがほとんどなくなって、メンテナンス経費が大幅に節約できる。このような発光ダイオードの特徴が評価されたのである。新しい技術が古い技術に置き換わっていくプロセスを目の当たりにする、貴重な事例といってよい。